働き方改革

日本において、「働き方改革」という言葉を最近よく目にする。国会で審議されていた話題でもあるが、私が20代の頃と比べると、「あまり残業してはいけない時代」になってきたようだ。


働き方改革」に関連して、高度経済成長期の日本企業のVTRがときどきテレビ番組で流される。男性は毎日深夜まで働き、週に一度しか帰宅できない企業もかなりあったようだ。その頃と比較すると、確かに私の20代の頃も、かなり条件はよくなっていたのかもしれない。そして現在においては、ますます働きやすい環境を企業側が提供しなければいけなくなっている。


「進化とは、多様化することである」という言葉があるように、今後、ますますよりよい労働環境を構築していくためには、経営者側も、従業員側も、「選択肢が増える」ことがあるべき方向性ではないかと思う。


フレックスタイムを導入したり、有給休暇を取りやすくしたり、残業しないでも帰宅できるような雰囲気をつくったりして、従業員側の「選択肢を増やす」ことが、経営者側に求められているであろう。また、「もっと働きたい」という人も少なからずいるだろうから、勤務態度や仕事の成果などを勘案して、該当する人にはもっと働ける環境を提供していくことも必要だろう。


一方で、従業員の「選択肢を増やす」ためには、経営者側の選択肢も増えていかなければ「働き方改革」は思うように進まないのではないかと思う。「従業員側の権利が増える」ということは、裏を返せば「経営者側の義務が増える」ということである。もちろん、従業員が働きやすい環境を提供することで生産性が上がるのであれば、経営者側は積極的に「義務」を買って出るだろう。しかしながら、ある程度試行してみて、生産性が落ち、うまくいかないと判明した制度は、柔軟に変更していく権利が経営者側に「選択肢」としてなければ、なかなか思い切って「この制度を導入します」とは言えないのではないだろうか。


それは、人の流動性についても同じである。「雇用を守る」ことが大原則だが、「すべての人を守る」ことが経営者側の義務としてあるなら、おっかなくて簡単に人を採用することなどできないだろう。もちろん、解雇を多発する企業に対しては、国や地方自治体等から「勧告」が出されるなどの制裁があるべきだろうが、経営者側の「権利」も保障することを明らかにしておかないと、「働きたいのに働けない」「なかなか正社員になれない」といった人が、今後も増えていくのではないかと思う。


「働き方」は「これが正解」というものがなく、時代とともにあるべき姿が移り変わっていくであろうが、「選択肢が増える」という方向性だけは、大切にするべきではないかと思う。