生産年齢人口と労働力人口

日本の「生産年齢人口」(15歳〜64歳)は、1995年から2015年までの20年間で1000万人減少し、今後も減少していくものと推測される。人口予測は精度の高いものとされていることから、外国人の受け入れ等、大幅な制度変更が実施されない限り、人口はほぼ予測通りに推移していくのであろう。


また、2016年の「労働力人口」は6,673万人で、そのうち65歳〜69歳は450万人、70歳以上は336万人であり、労働力人口総数に占める65歳以上の割合は11.8%にまで上昇しているそうだ。


NHKのテレビ番組で放送されていたが、ハローワーク等を通して求人活動してもなかなか人が集まらず、シルバー人材センターに問い合わせをする企業・団体が増えている。実際は、仕事内容とシルバー人材センター登録者との求職ニーズが合致せず、登録者を紹介するのは慎重にならざるを得ないそうだ。


なんとなく感じていた「超高齢社会」の現実が、いろいろなところで表面化してきているということだろう。自分自身もその年齢まで生きることができれば、「いつか通る道」であり、決して他人事ではない。一生の最終局面で幸せを感じられる社会、人生とはどのようなものか、自分自身も考えていきたい。

スマホとパソコン

インターネット接続するツールとして、最近、スマホがパソコンを上回ったそうである。iPhoneが世に出てから10年、スマホの浸透率は爆発的なものだったから、もっと早くからスマホがパソコンを上回っていたものと思い込んでいたが、日本では2017年に逆転したことが明らかにされた。


この要因として、60代のスマホ利用率が40%未満であることが大きいとされている。確かにスマホはお手軽で便利だが、どうしても字が小さくなりがちだから、記事を読むのも一苦労だ。今後、音声読み上げ機能等、若い人や働き盛りの人だけでなく、より多くの人にとってスマホが便利でお手軽なツールとなることを願いたい。


また、パソコンも独自の発展を遂げてほしい。やっぱり自分たち世代からすれば、パソコンに一番慣れている。スマホにはない画面の大きさを活かし、特に仕事をするためのツールとして、ますます効率よく使用できるようになっていくことを願いたい。

仕事の進め方

最近、あるネットニュースで、「作業が速い人は、今ある作業が終わっていなくても、新たに依頼された作業を、とりあえずはかじるようにしている。そうすることで、新たな作業に対する問題意識が自然と生まれ、たまたま調べていた情報が『次の作業でも、この情報は使えそうだ』とか、『このやり方は、次の作業で応用できそうだ』というように、自然と新たな作業を進めることができているからだ」といった趣旨のことが書かれていた。


私自身、たまたまネット検索していたところでこの記事にあたり、「確かにそうだなあ」と共感した。目の前の作業が終わっていなくて、新たな作業を依頼されることは、その量の多さ、難易度の高さは千差万別かもしれないが、多かれ少なかれ、多くのビジネスマン、ビジネスウーマンが経験することだろう。


もちろん、仕事の進め方は、人によって異なるだろうし、結果的に良い方向へ導くことができればよいわけだから、「仕事の進め方」そのものを強制されるべきではないのだろう。


だからこそ、いろいろなところで書かれている「仕事の進め方」をときどき拾い、「これは役に立ちそうだ」というものを自ら試してみることが大切なのかもしれない。


今回書かれていた「仕事の進め方」は、今の私にとって非常によい情報だったと思う。ときどき、こういった記事にも目を通し、自ら応用できそうなものは活かしていきたい。

「寸陰を惜しむ」

「寸陰を惜しむ」の精神で、時間を大切に使っていきたいと思うものの、ついついダラダラと過ごしていることがある。


まとまった自由時間を取れる日は、事前に計画を立てることが大切だろうが、外出が多い日に「寸陰を惜しむ」ためにはどうしたらよいだろうか。


以前は、文庫本を中心に、必ず本を持ち歩いていた。電車の中や空き時間など、ちょっとした時間を利用して本を読んでいたと思う。最近は、スマホがその代わりをしている。


空き時間があると、スマホでニュース記事を見たり、天気予報を見たりしている。もちろん、スマホによって自分自身の情報収集力は飛躍的に向上したと思うが、その一方で、本を読む量が少なくなったと反省する。


ニュース記事などを見ていると、いつの間にかダラダラと時間が過ぎてしまい、隙間時間がほとんどなくなってしまっていることに気づく。それが、読書量の少なさになって現れている。


スマホを有効活用しつつ、バランスよく本を読む時間も設けるなど、工夫して「寸陰」を過ごしていきたい。

働き方改革

日本において、「働き方改革」という言葉を最近よく目にする。国会で審議されていた話題でもあるが、私が20代の頃と比べると、「あまり残業してはいけない時代」になってきたようだ。


働き方改革」に関連して、高度経済成長期の日本企業のVTRがときどきテレビ番組で流される。男性は毎日深夜まで働き、週に一度しか帰宅できない企業もかなりあったようだ。その頃と比較すると、確かに私の20代の頃も、かなり条件はよくなっていたのかもしれない。そして現在においては、ますます働きやすい環境を企業側が提供しなければいけなくなっている。


「進化とは、多様化することである」という言葉があるように、今後、ますますよりよい労働環境を構築していくためには、経営者側も、従業員側も、「選択肢が増える」ことがあるべき方向性ではないかと思う。


フレックスタイムを導入したり、有給休暇を取りやすくしたり、残業しないでも帰宅できるような雰囲気をつくったりして、従業員側の「選択肢を増やす」ことが、経営者側に求められているであろう。また、「もっと働きたい」という人も少なからずいるだろうから、勤務態度や仕事の成果などを勘案して、該当する人にはもっと働ける環境を提供していくことも必要だろう。


一方で、従業員の「選択肢を増やす」ためには、経営者側の選択肢も増えていかなければ「働き方改革」は思うように進まないのではないかと思う。「従業員側の権利が増える」ということは、裏を返せば「経営者側の義務が増える」ということである。もちろん、従業員が働きやすい環境を提供することで生産性が上がるのであれば、経営者側は積極的に「義務」を買って出るだろう。しかしながら、ある程度試行してみて、生産性が落ち、うまくいかないと判明した制度は、柔軟に変更していく権利が経営者側に「選択肢」としてなければ、なかなか思い切って「この制度を導入します」とは言えないのではないだろうか。


それは、人の流動性についても同じである。「雇用を守る」ことが大原則だが、「すべての人を守る」ことが経営者側の義務としてあるなら、おっかなくて簡単に人を採用することなどできないだろう。もちろん、解雇を多発する企業に対しては、国や地方自治体等から「勧告」が出されるなどの制裁があるべきだろうが、経営者側の「権利」も保障することを明らかにしておかないと、「働きたいのに働けない」「なかなか正社員になれない」といった人が、今後も増えていくのではないかと思う。


「働き方」は「これが正解」というものがなく、時代とともにあるべき姿が移り変わっていくであろうが、「選択肢が増える」という方向性だけは、大切にするべきではないかと思う。

卒業できない夢

ときどき、大学を卒業できない夢を見る。実際は、大学を卒業してからすでに20年以上が経過しているが、なぜか未だに大学を卒業できず、もがいている夢を見る。なぜだろう。


最近、高校を卒業できず、先生から「そろそろ卒業してもらえないかなあ」と催促された夢を見た。


確かにこの歳になると、「学生時代に、もっと勉強しておけばよかったなあ」と思うことがしばしばある。でも、過去を変更することはできない。それならば、今から勉強をやり直すしかない。


「学生」という意味を、「学校に通って生活している人」と捉えるのではなく、「学んで生きる人」と捉えるのであれば、私自身、これからは「学生」でありたいと思う。学生時代の反省を活かし、学校に通わなくても、これからは自ら学んでいくようにしていきたい。

国民栄誉賞

将棋の羽生さんと同時に、国民栄誉賞を授与されることになった囲碁の井山七冠。ただ、私自身が囲碁のルールを知らないため、井山七冠がどれだけすごいのかを理解できずにいる。


インターネット検索で調べてみたところ、なんと中学一年生ですでにプロ入りしていたとのこと。将棋の藤井聡太四段よりも早くプロになっていたことになる。さらには、16歳4か月で、全棋士が参加する大会で優勝したとのこと。それだけでも、やっぱりすごい人なのだろうなあと思う。


私が30代前半くらいで、「囲碁を学ぼうかな」と思い立ち、初心者向けの本とマグネットの囲碁盤を購入したことがある。でも、結局はルールを理解できないままだ。言い訳をするなら、当時は対戦相手を見つけることが難しかった。もちろん、囲碁教室に通うという方法もあったが、敷居が高く感じられた。


今では、AIによる無料アプリがあるから、すぐに対戦することができるが、現在では精神的なハードルが高くなってしまっているように思う。


いずれにしても、井山七冠はまだ20代だから、今後のさらなる活躍を期待したい。